夜回り先生の言葉,僕の言葉

大学学部の1回生のとき,出身高校の,その年に大学を受験しようとする1年後輩の保護者会に,当時仲の良かった友だちと二人して呼ばれたことがある.受験経験について話てほしい,と言われたのだ.

僕は京都の私立の中堅進学校(今もそうだろうか?)の出身で,その保護者たちは強烈な個性を持っている.そもそもが京都人というだけで,いやみったらしいのに(これは偏見もありますが),過保護な親も多い.僕の話に対する反応はあまり良くない.

僕は,とにかく,責めないこと,干渉しないこと,見守ること,を強く主張した.テストが悪くても何も言わない,遅く帰ってきたら黙って晩御飯を温め直す,みたいなことがとても助かるのだ,ということを言った.というのも,僕の親は僕の勉強や学習習慣に対して口出ししたことなんて一度もないし,それでもそれなりにやってきたから,[不干渉]が一番いいと思っていた/思っているのである.

でも,厄介な保護者というものはいて,彼らは[何を生意気な]というような感じで僕の話を聞いていた.なるほど,[私達は十分に生きているし,親もやってきたし,だから大学上がりの子どもの話は聞き流す]ということらしい..実際に,そういうふうに思っているか,と聞いたところ,そうだ,と答えた(直接聞いてしまうあたり僕もどうかしていたが).

僕は[そう思っていても,できていないことがある.社会は干渉しすぎる,攻撃的な方向に進んでいる.夜回り先生(水谷修先生)もそれについて,言及している]と反論した.そうすると,ほぉほぉと,周りの親も,厄介な保護者も,それに対しては頷いてきた.先程の態度とは,大違いである.僕の言葉だと,聞き流され,夜回り先生の言葉だと,受け入れられる,そういう背景があることを,再確認する.僕は自らの経験から,自らの感想を述べよと招集され,まさにそれを述べたわけである.それなのに,それを聞いてもらえないその場の空気には,今思い出しても辟易する.

過保護な親というのは,本当に怖いものである.それが京都人ともなると,もう一層怖い.僕は京都で教師なんかしたくないよなぁとつくづく思う.そして,そういう厄介な人たちが,[あなた達のためよ]と嘯いて,若い大学生上がりの新卒たちを,会社なんかでネチネチといじめていたりするのだろう.ああ恐ろしい.そういうときは,誰かとても偉い人の言葉を引用して,彼らに反撃してやればいい.彼らはどうやら,そういうのには,弱いようなので.

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