友だち100人出来るかなの呪い

僕には”友だち”が1200人いる(らしい).でも,たぶん本当は多分<友だち>は5人もいない.

小学校に上がる前,僕の家にはLDを再生する装置があった.レーザーディスク,である.(知らない人はググるといい.大型のDVDみたいなものだ.) 父は無駄遣いが大好きみたいだ.

その一つのディスクには,いろんな歌と映像が入っていた.そこにあったのは,『一年生になったら』である.まどみちお先生の作詞だ.

一年生になったら 一年生になったら 友だち100人できるかな

というやつである.

男の子と女の子が,富士山ライクな山の上で,大型の三角のおにぎりを,他の友達と食べている絵が映し出される.

でもこれは,あるいは呪いみたいなものなのではないか.

この歌が今でも歌われているか知らないけれど,確実にこれで傷つく子がいる.それは,『友達は多いほうがいい』という幻想を,刷り込まれるからだ.出来なければ怖い,あるいはできることがいいことだ,という幻想を,繰り返し教え込まれる装置だからだ.

だから,もしこれを読んでいる少年少女がいれば(おそらくいないかもしれないけれど),”友達”100人は余裕で作れるから,心配しない方がいい.Twitterでも初めて,いろんな人をフォローすれば,基本的にはフォローバックしてくれるから,100人ぐらいは行けるはずだ.また,Facebookを初めて30年ぐらい生きれば,それぐらいの人数の友達はできるはずだ.

でも,本当にその友だちは必要か,というのも,疑問である.そして,”友達”は,本当に友達なのか,ということもある.友だちとは何だろう.それは多分,程よくあいた,無責任な人間関係につけた,仮の名前みたいなものだ.

僕にはいわゆる”友だち”はいる(みたい)だけれど,<友だち>はそう多くない.そして,その人たちを「友だち」という言葉を用いて呼ぶこと自体が,なにかおかしい感じがする.

かしこいAさんは友達ではなく,かしこいAさんなのだ.友達,という謎の称号を,僕は彼女に与えたくない.

へんたいのBくんは友達ではなく,へんたいのBくんだ.友達,という謎の称号で,彼の変態ぶりを伝えることはできない.

我慢強いCさんは友達ではなく,がまんづよいCさんだ.彼女の忍耐力を,友達という謎の称号で呼ぶことは失礼だ.

だから,もう,友達なんて言葉を,考えるのは,そして使うのは,やめてしまおう,と思う.そもそも,誰か別の人に言うときに,変な感じしませんか?

まどみちお先生には悪いけれど,小学校からの18年間ぐらい,僕は,その呪いにかかっていたと思う.それで,僕の人生は,あんまりそのころ,うまくいっていなかったと思う.

なくなった人のことをどうこういうのは,あれだけれども.呪いをかけた罪なんかで,地獄に行っていないと,いいけれど.

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