お金を貸すということはお金をあげるということ

あなたが消費者金融ではなく,そしてお金を貸すことを生業としておらず,しかしお金にうるさい人なのであれば,お金を貸すのはやめた方がいい.それが100円でも,200円でも,もしあなたがお金が返ってこないことが気になるたちなら,いっそのこと,「もう貸さない」と決めたほうがいい.そして,「貸すときはあげることにする」を徹底させた方がいい.

昔オーストラリアにいたときに(そんなことも実はあったのだ),日本人で現地に長く住んでいるアドバイザーの方が,人とのお金の貸し借りについて,こういっていたことを,今でもありありと思い出せる.

「誰かにお金を貸すときは,あげるつもりでしなさい.お金のトラブルはとても醜いし,貸した方と借りたほうの意識は等価ではないのだから.」

これを僕は勝手に,[オーストラリアの教え]と呼んでいる(他にもいろいろな教えがある).

その時僕らは若かったし,いかにお金を稼ぐことが大変かということに気づいていなかった.でも今は知っている.お金は人生の時間と交換で得られるものである.いわば,人生の時間を削って,我々はお金を得ているわけだ.(それにやりがいみたいなものを感じているにせよ,しないにせよ.)そう考えると,貯金は人生の時間を貯めているといえるし,貸すことは,人生の時間を誰かの手にゆだねることである.
(Mind you, 人生を貯めているわけではない.人生の”時間を”貯めているのだ.)

だから,もちろん借りたり貸したりするときは,それなりの責任が伴う.その100円は,誰かの人生の時間の”かけら”なのだ.それなりの重みを感じることだろう.

そう考えると,そのような重責を他人に与えるのはすこし気が引ける.また,誰かからお金を借りることで,「私の人生のかけらを返して」といわれる可能性について考えると,もう借りたそばからすみませんと陳謝したくなる.

一度,ルーマニアにいたときに,友だちのコンドミニアムで飼っていた猫が7階の窓から飛び降りて(自殺願望ではなく,とてもやんちゃな猫だったから),複雑骨折をしたとかで,僕はその時親切心からお金を貸してあげたことがある.でも,その時にはすでに”オーストラリアの教え”を理解していたから,あげたつもりでいようと決心していた.だけれども,3分の1が(5000円ぐらい)帰ってこなかった時に,やはり僕は少しモヤモヤを感じた.今も感じ続けて,それでこれを書いている.

猫を救ったことも大切だけれども(だってそのお金がなかったらその猫は死んでしまっていただろうから ※1),それになぁんだそんなちっぽけなお金と思われる人がいるかもしれないけれど,それでもやっぱりモヤモヤはモヤモヤである.それにあれは僕の人生の対価だったのだから,なおさらだ.

だから僕はお金を貸さない.そして人からお金を借りたくない.貸すときは,あげることだと考える.

それでも人に頼らなければ人は生きていけない.いつか借りることもあるかもしれない.また懲りずに貸すこともあるかもしれない.それはそれで,自分の人生だと思って生きていくほかないのかもしれない.それでも,きちんとスタンスを決めておくことは,いずれは必要だろうと思うのだ.

※1 ちなみに,動物を飼う人はお金をたんまりもっていたほうがいい.逆に言えば,たんまり持っている,という自覚がなければ,飼わない方がいい.彼らはお金がかかるものだから.

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