「~でなければ気がすまない人」考

父は『でなければ気がすまない人』である.そんな父が苦手だ.

世の中には一定数,父みたいな人がいると思う.大きく2つのグループに分けることを許していただけるのであれば,『でなければ気がすまない人』と『がどうであれなんでもいい人』がいると思う.

例えば『でなければ気がすまない人』である父は,ニトリで買ったテーブルを組み立てている私に向かって,いろいろと指示をしてくる.やれ脚は順番がどうだとか,やれ向きはどうだとか,そういうどうでもいい(←)ことをいちいち指示してくる.もう最後にはこちらもやる気がなくなってくる.テーブルぐらい自分で組み立てられるのだ.もう放っておいてくれ,と言いたくなってくる.

こういう人は基本的にB型であることが多い.偏見かもしれないが,経験上そうであるから仕方がない.特にB型男性に多いように思う.彼らは自分の中にきちんとした筋道があり,それを曲げることはあまり好きではない.出来れば人にもそれに従ってほしいが(父のように),しかし言葉で説明することが下手なので,ついつい攻撃的になってしまうこともある.挙句の果てにうざいといわれて,娘に嫌われるタイプである.

僕は『がどうであれなんでもいい人』である.順番がどうであれ,テーブルがテーブルの形としてそれなりに動いてくれればそれでよく,完成していなくても8割で大体のことはOKである.テーブルがテーブルとして機能しなくても気にしないときもあるかもしれない.世界が完璧ではないことを知っている.

こういう人は基本的に,効率が悪い.頭の中でこうだろうと思えば,それ以上考えることはやめてしまう.基本的に説明書を読んで,それで動かなければ,自分で解決する以前に,まずその製品自体のせいにする.そして大体において詰めが甘く,だいたいにおいて全部テキトーである.タイプミスなどをちまちま指摘する人がいるとすれば,その人にはこういう.”What’s the big deal?”(いったいそれがどうしたっていうんだい?)

おそらくこの対立はそうそうなくなるものではない.『でなければ気がすまない人』の気のすまなさを,『がどうであれなんでもいい人』が理解することはまずない.というのも,その基準は明確ではないし,それはいわば[気]の問題であるからだ.逆に,『がどうであれなんでもいい人』のなんでもよさ,は,理解されることがない.この[なんでもよさ]が,なぜなんでもいいと思うのか,を明確に説明することはできないからだ.

というわけで,僕は『でなければ気がすまない人』とはあまり関わりたくない.そもそもほかの人に考えを押し付ける感じが,世界平和を妨げている感じでならない.でも,そんな人たちのことを,僕はどうでもいいと思う.そして戦争は続いていく.

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