授業見学中に居眠りした話と,”上司”の感情的な行動

僕は人生でたくさんの失敗を犯してきたけれど,すごいのは「高校の教育実習の時に講師の人の授業で居眠りをした」ことだろう.その方がその後,僕を完璧に無視し,そしてそのことを吹聴して回ったのは,想像に難くない.それを思い出した経緯,そして,それが承認欲求の表れだ,ということを書きたい.

さて,それを思い出したきっかけがこれだ.仕事をしていないように見えてふらふらしているように見える私に(実際はそれに近いが),父がこの本を貸してくれた.(先に言うと,全然おすすめしない.)

アドラーに学ぶ よく生きるために働くということ (ベスト新書)
岸見 一郎
ベストセラーズ
売り上げランキング: 2,120

というわけで,本そのものは全然おすすめしないけれど,一つだけ心に響くところがあったので,紹介する.それは,アドラー/岸見氏が「役職は上下関係を規定しない」「そもそも人間は対等」と述べているところだ.

そして,”上司”が感情的な行動をとるのは,それは承認欲求の表れだ,とも述べている.もしあなたの”上司”が感情的になったならば,その人はあなたに優位性を認めてもらいたいからなのだ,ということだそうです.そもそも,優秀な人は,ただ優秀なのであり,それを他人に認めさせるために怒ったりはしない,とも.

これはそうかもしれない.

で,よく考えてみたら,僕がこれまで上司と対決した記憶に残る個人的な名場面は,大体彼らのそういう承認欲求が脅かされた時だった.

1.前述の先生の授業で寝てしまったのは申し訳ないが,そりゃあんたの授業がクソつまらんかったからでしょう.そのことに気付いているから,あなたは自分の授業の非を認めずに,憤怒したのでしょう,ということ.僕は別に誰かが授業で寝てても特に何も思わない.なぜなら,自分がそれほど価値がないと自覚しているので.

2.ある研究会でわりと感情的に痛めつけられたことがあるけれど(しかもそれは研究の基礎的な部分を彼が理解していないために起こったこと),それは別の研究基盤を排斥して自分を認めさせようという承認欲求的な部分があるだろうと思いまして.そういう人っているものです.

3.さらについさきほどまで働いていたところでは,些細なことで怒られることがありまして,それはその上司的な人を尊敬していないことが丸分かりだった,それが行動にも出ていたんだろうと.でも仕方ないじゃない,自分の権威をかさにしたり,ただ単に長くやってることを説得の理由にしたりするんだから.尊敬できるわけないでしょう.

尊敬って人には押し付けられないものなんで,尊敬されたかったら自分から優秀な人になってくださいよ,でなきゃ人に八つ当たりしないでくださいよってな話です.

そもそも優秀な人がただ優秀,というのは確かにそう.言動,立ち振る舞いから,「うわこの人尊敬しよう」となるものです.強制されたことなんか一回もない.

もちろん自分のことはおいといて.ははは.

 

ということで,アドラーには極微細な部分に置いて賛成,ということにしておこうと思います.でもこれは本を貸してくれた父の意図とは違うものですね.そろそろ働きます.

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中