男女という言葉を排斥する

言葉は世界を分ける.では,男女という言葉を奪えば,世界は平らになるか.

「男」「女」という言葉について考えてみると,これもまたおかしい話である.そもそも,男女差別などというのが起こる一つの原因は,「男」「女」という言葉があるからではないか,と思った人が多いと思うのだ.言葉がある=表象されるカテゴリーが存在する,ということだとすると,男女という言葉を取り払えば,世界はもっとよりよくなるのではないか.

いやまて,では身体的特徴はどうなる,と思われる人も多いだろう.

だが,実際に,体つきはさほど重要ではない.なぜなら,人々は身体的特徴を見る前に,例えば名前だけを見て彼は男,彼女は女,という風に判断することもできる.つまり,身体的特徴に先立って(それを参照することなしに),我々は男女を区別し始めることもあるというのである.

また,別に男性だから力持ち,女性だからひ弱,というわけでもないではないか.そんな例を思い返せば,いくらでも思い浮かぶだろう.身体的特徴は,もはや二の次なのである.

では,男女という言葉をそっくりそのままこの世から消すとどうなるだろう.明らかに,男女平等に近づくだろう.例えば,我々は「女の子だからね」「やっぱり女子は」「男の子なら」ということが少なくなる=それについて考える機会が減るだろう.

しかし,それにはある種の危険も伴う.George Orwellの1984で出てくる,絶対的権力者Big Brotherの推奨する人工言語「Newspeak」について考えてみよう.Newspeakとは,語彙表現を簡略化した英語で,それゆえに英語学習などがとても進む,といういかにも植民地支配的なやつである.例でよくあがるものとしては,goodの上位にexcellent,awesome,fantasticなどというのは不要,plus good,とすればいいのではないかというものである.それで足りないのであれば,double plus good,というふうにすれば,というものである.言語政策の悪しき典型として挙げられる.

一瞬だけいいアイデアなんじゃないか,とすら思うし,実際にそういう言語もあるんじゃないかしら,と言いたくなる.

しかしこれには裏があって,昨今の「ヤバイ」議論のように,思考が平板化させよう,というものでもあるのだ.僕らにはあまり直感がわかないけれど,excellent, awesome, fantasticはそれぞれ微妙な差異があるし,それを使い分けることで人は世界を細分化している,つまり,世界を多様に認識しているといってもいいだろう.それを奪うことは,世界をより鈍感に認識することを助長する.つまり,のっぺりとした,つまらない世界になるということだ.

男女という言葉を奪い去る.これではある意味では,Big Brotherの策中にはまったのも同じである.つまり,男女という言葉を使わないように消し去ることで,われわれは何か,今まで分割していた世界の認識を失う.そしてそれは,どこかで破たんを起こすだろう.とすれば,我々はもう少し,進まなければならない.

ではどうすればいいか.言葉は存在していてもかまわないが,その言葉を使わなくする,というのが一番手っ取り早いだろう.あるいは,どうでもいい存在みたいにする.あんまりいい例が思いつかないけど,叔父さんと伯父さんってのはどうでしょうね.漢字で書き分けはするけど,どちらがどちらかはパッとわからない.たとえば,ジベタリアンとか,流行語大賞に輝いた数々の死語でも構わない.男,女,と言われて,あれ?どっちがイチモツついてるほうだっけ?というような具合になればよろしい.

これで男女はより平等に近づくし,というか意識されなくなるし,がしかし辞書にはそれが残る,というなんとも中庸な感じであると僕は考えるわけであります.

というわけで,僕は男だから,女の子なら,という言葉を使わない.というか,避けることにしている.男か女かというのは,僕にとっては,結局,どうでもいい話であるからだ.

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