障がいとはいえない「見えない不便さ」について

別に同情してほしいわけではない.ただ,そういう人がいるかもしれないと,知ってほしいのだ.

知人の中でも,知らない人が多いと思うけれど,僕は左目がほぼ見えない.5歳の時,滑り台から落ちたのが原因で,視力を失いかけた.視神経が潰れてしまっていて,眼鏡をかけても矯正できないのだ.僕はメガネをかけているけれど,左には度は入っていない.

ただし,日常生活には支障ない.

確かに,立体的にものを見ることがあまり得意ではない.3Dメガネをしていても,3Dには見えないし,親父の車のバンパーをしこたまぶつけたこともあるし(しかも家のガレージに),球技も苦手だ.だけれど,視野角が110度以上あれば車の免許は取れるし(合法です),多少左目の見ているところが外側にずれていても,あまり目を合わせなければ気づかれることはあまりない.証明写真はちょっとやっぱり左目が変な方向を見ている.

僕は人の前で話すことが多いけど,もし1年など長いタームで付き合う場合には,まず最初に目のことを話しておくこともある.「そこの人」と言っても目線が違うところにあるので,誰に視線を合わせているかわからないと言われることもあるからだ.時間が経つと人はそのことを忘れてしまうけど,その頃には名前を覚えているから大丈夫.

でも一番つらかったのは,この不便さではなく,それを知らずにいろんな人が僕に浴びせる,言葉だった.

例えば,僕が箕面の老人介護施設で実習をしていた時のことだ.(中学校の先生になるためには,こういう実習が必要なのです.)

その中で介護福祉士のおばさんと,卓球をする機会があった.だけれども,前述したように,僕は左目がほぼ見えない.僕はずっとその状態だからわからないけれど,きっとみなさんも左目を閉じて卓球をやったら,結構下手なんじゃないかと思う.それで,僕は卓球に完敗してしまって(そりゃそうです),おばさんはこういった.

「勉強ばっかりしすぎて,運動してないんじゃないの?」

僕はショックを受けた.6年経った今でも,時々思い出しては,傷ついている.そして,僕はその頃から,介護福祉士さんのクオリフィケーションに対して,疑問を持っている.

もう一つ.高校の体育の授業でのソフトボール.僕はきちんと体育にあたって,「左目がほぼ見えない」ということを紙面で伝えていたけど,先生は読んでいないんでしょうね.陸上競技はできるけど,ソフトボールはだめだった.「フライが取れるようになっただけでも良かったな」と最後に言われたけど,慰めにもならない.

基本的に,見えない事,これは他人にはわからない.そして,たとえ知っていても,他の人のかすかな不便さを,すぐに忘れてしまう.別に3D で映画が見れなくたって,それは構わないのだ.だけれども,そのことを(意図するにせよしないにせよ)題材にして,あるいは人の能力を馬鹿にして,人に何かを言うのは,あまり感心しない.努力してなおらないことは,往々にしてあるからだ.そして,そのことが,僕の場合みたいに,ずっと心に引っかかっていることは,よくあることなんじゃないかと,思うからだ.そして,それは決して,いい思い出にはならないのだ.

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