父(仮)が母(仮)へあてたラブレターの話

まだ独身だった父が,まだ独身だった母にあてた手紙を,昔,読んだことがある.つまりはラブレターだ.

その時,たぶん僕は中学生ぐらいで,社宅に住んでいた.引っ越しだか模様替えだかで,狭い部屋の中がひっちゃかめっちゃかになっていて,余計に狭く感じていたことを覚えている(うちはみな物を捨てられない性格なので).

その時,畳の上にポツリと落ちている封筒を見つけた.

母の名前が表に書いてある.返送先は書いていなかったように思う.(それは後ろ向きでおちていて,裏には何も書かれていなかったから).

好奇心から中を開けて読んでみると(倫理的な判断をここでしないで欲しい),誰かの字で,「この間は世話になった.今度またそちらに行くことになったから,ぜひ案内してほしい」というようなことが書いてある.そして,最後には父の名前.そうか,父の手書きだったのか.

そこで,僕は,一瞬,訳がわからなくなった.この部分は,特に記憶に残っている.なぜなら「なんで父が母に手紙を書くのか,そして母が案内しなければならないのか」がよくわからなかったからだ.

しかし4秒ぐらいして,その意味がわかった.僕が予測したよりもその手紙はずっと古くて,そして,ずっとプライベートなものだったのだ.そして,父は母に手紙を書く立場にあったし,母は土地に不慣れな父を案内する立場にあった,ということだ.そして,父は父ではなかったし,母は母ではなかったのだ.

思い返してみると,その手紙は,父と母が,父と母たるゆえんであり,そして,僕が僕である理由だったのだ.おそらく父が手紙を出さなければ,あるいは僕は居なかったかもしれない.あるいは,もしその手紙がどこかで失われてしまっていれば.そう考えると,なんだか嬉しくて,すこし怖い.

手紙を読んだあと,僕は面白くなって,母に「こんなん落ちてたで」とニヤニヤしながら見せた気がする.母も,「ちょっと見んとって」と言って,僕から手紙をふんだくったように記憶している.今となっては,もう少しちゃんと読んでおけば良かったと思う.つまりそれは僕の存在の証明になるだろうから.

父と母は,その手紙のあと程なく結婚し,夫婦になり,その後僕が生まれ,本当に父と母になり,現在に至る.今,あの手紙はどこにあるんだろうか.僕がもう一度読ませてくれと言ったら,母はなんというだろうか.あるいはあの手紙に,母はどう答えを書いたのだろうか.でもそれはたぶん,あの二人だけの,永遠の秘密なのだ.

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