さらりとかわす

議論できない人,というのがいる.

議論というのは,私の理解では,ある真理を導き出すために,様々な事実やデータなんかを用いて,それを理論的に組み立てて,思考の筋道を立てていくことだ.そこには私情みたいなものは含まれない.客観的に,そして関わる人は協同的に,ある世界にある真理の深淵を覗くために行う.それが議論だ.

そこには敵も味方もない.右翼も左翼もない.上下も,経験の有無もない.偏見も,人種も,歳の差もない.

はずだ.本来は.

だけれども,そうではない人もいる.例えば,もうすでに「ある出来事や意見」を真理とすり替えたいと思っている人だ.その人の口調は,基本的に高圧的で,「あなたは間違っている」調なことが多い.こういう人とは議論できない.そこにはすでに,善-悪,適切ー不適切,という二項対立的な軸が存在しているし,そのどちらかに偏向してしまっているからだ.

もう一つのパターンは,協力的ではない人,あるいは,相手の思考の筋道を理解しようとしない人だ.議論は一人では行えない.テニスが一人では行えないように.だけれども,相手の思考の筋道を理解できない,そもそも理解する気がない人との議論は,こちらがテニスをしていて,しかし相手はバスケットボールをしているような違いさえある.同じルールですらない.そういう人とは,議論できない.

そういう人と出会って来て,僕は思ったのです.それはもう「さらりとかわす」しかないな,と.無視という方法もいいだろうし,「そうですね」と生暖かい眼差しを向ける方法もあるだろう.「そうですか,あなたは正しいですね」と言ってあげるのもいいだろう.人生は短いので,そういう人たちとお付き合いする時間は無駄ですもの.節約です.

あとは自分がそういう人だと思われていないか,そこも気にしておかないといけませんよね.こわごわ.

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