怒るから,怒られるからという判断軸

「怒られるからやめなさい」という子どもの叱りかたが良くない,という話を,以前,朝日新聞の4コマまんが(「ののちゃん」でしたかな?)で読んだ.若いお母さんが,電車で騒ぐ子どもに対して,「怒られるからやめなさい」と言う.それに対し,電車の中にいた別の人が「怒られるから,ではなく,周りに迷惑がかかるから,でしょうが.お母さんも怒りかたを勉強しないと」と言って,周りが拍手する,というような四コマだったように記憶している.

ごもっともである. ある人が怒るからやめよう,ある人に怒られるからやめよう,と言う判断基準ほど,ひどい基準はない.また,ちょっとやったぐらいでいろいろ怒る人もどうかと思う(そういう人って居ますよね).

僕は生まれ持って(かどうかはよくわからないけれど)癇癪持ちで,かつ頑固な性格だから,つい怒ってしまう.最近は他人にそう期待しないことで,あるいは相手を宇宙人だと思うことで―これは効果てきめんなのでおすすめします―それをコントロールしようとしている.私には幸いにも,いくらかそういうことを気にしてくれて,いろいろと注意してくれる人がいるから,自分がどういう人間なのか,それを受けいられるようになってきた.

しかし,怒るという行動が,それを妨げてしまう場合もある.怒りは通常,人を遠ざけるのだ.それは悪循環となりうる.怒る,人が遠ざかる,周りに言ってくれる人が居ない,だから自分が怒っていることがわからない,というように.私にとっては完全に宇宙人扱い対象者である.

だから,もう少し理知的な判断基準を持ちたいと思います.リスク,コスト,手間,距離,効率,倫理,常識…などなど,その他二項対立的概念.でも,怒る,怒られるという判断基準は止めませんか.そういう判断基準以外で,人と接してみたい.そっちのほうがずっと,理想的じゃあありませんか.

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