ドラキュラ城について その1

真ん中のやつがドラキュラ城です.

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と言っても,それは3割ぐらいしか正解じゃないとか.

そもそも,いわゆる”ドラキュラ”は空想上のいきものだもんね.と言っても,僕は美女でも処女でもないから,ドラキュラさんとは関わりになることはないんだけど.

それに,「ドラキュラ城」というものもない.上のやつは,「ブラン城」と言われる交易要塞で,1200年前半ぐらいにかけて建設され,トランシルバニア(ルーマニアの左上あたり)と,ワラキア(ルーマニアの南あたり)の国境を警備している城であったそうな.そのあといろいろあって(詳しくはWikipediaでも見てください),今に至る.

そもそも,ドラキュラを書いた何某という小説家は,ルーマニアに来たことがないけど,とりあえず図書館の資料からこんな感じーって書き上げたというのだから,たまげたもんである.そんなんだったら僕にだって書ける…と思う.いや無理か.

それから,串刺し公(1431-1470年代・ワラキア公ヴラドIII世)も,別にここに住んだわけじゃない.彼のお祖父さんが住んでいたそうです.そりゃそうです,こんな国の端っこに住んでたら国が大変なことになっちゃうじゃないですか.当時はオスマントルコなんかも来ていたそうですし.

あと,ドラキュラって,小竜って意味だって知ってましたか?そうなんだって.あんまドラゴンっぽくないけどね.

だからって,「なーんだ,大したことないじゃないか,大阪城のほうがすごいじゃないか」というお話にはならない.なんたって1200年台から(改修工事があったにせよ)ある城なのだ.1200年台前半といえば,日本は鎌倉時代,「鴨長明・方丈記」とか,「承久の乱(後鳥羽上皇 vs. 北条義時)」の時期です.とりあえず,一度は行ってみるか,という感じである.

 

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